IPアドレスの話になると、人に聞いています。
AIは、ある程度は使えていると思っています。
ただ、ネットワークとかIPアドレス(ネットワーク上の住所のようなものです)の話になると、正直よくわかっていません。
そういうとき、会社では別の人がササッと進めてくれます。組織ってすごいな、と思います。
「家はデータでは建たん」と書いてありました
『現場の流儀』【PR】(大工の正やん、クロスメディア・パブリッシング)は、福井県・敦賀で50年、地元の家を建て続けてきた大工さんが、現場のやり方をそのまま書き残した本です。
息子さんに言われるまま始めたYouTubeが登録者140万人を超えて、いまは海外からも弟子入りしたいと連絡が来るそうです。
帯に「AIが知らない仕事の知恵は日本の現場に眠っている」とあります。「はじめに」には、こう書いてありました。
けれど、家はデータでは建たん。最後は、手を動かす人間がおって、初めて形になる。
これは建築の現場に限った話やない。どんな職種でも、実際に手を動かす人がおらんと何もできていかん。
「家は、みんなのおかげで建つもの」
いちばん引っかかったのは、第6章の一文です。
「家は、みんなのおかげで建つもの」
この手前に、昔の建前(家の骨組みを組み上げる日)の様子が書いてあります。
上棟式のあと、村中の人と親戚が集まって、家の上からいろんなものを撒く。餅もお菓子もお金も飛んで、千円札のお捻りまで撒かれたそうです。
翌日には村の人がまた集まって、10人ほどが一列に並び、「ほい」「ほい」と瓦を渡していく。施主さんの家では朝から赤飯を炊いて、大量のおにぎりをこしらえて、親戚が総出で準備をする。
川西の家で、餅まきの写真を見せてもらいました
ここで思い出したことがあります。
知り合いの集まりで、川西にある家をお借りしたことがありました。近くのお店で食べ物を買って、その家で食べたんです。
そのときお店のかたが、この家が建つときの写真を見せてくれました。餅をまいている写真だったと思います。人がたくさん写っていました。
「家を建てるんやったら、人に振る舞わんといかん」
そんな言葉が自然に出るくらい、家づくりは自分だけの行事ではなかったそうです。
だから施主さんは、家が完成したときに「建てた」ではなく「建てさせてもらった」と言った。卑下でも謙遜でもなく、家が建つのは自分ひとりの力ではないから、という説明でした。
いまは建前も簡素になって、「建てさせてもらった」と言う人は少なくなった。
それでもこの気持ちは、時代がどう変わっても消えてほしくない。正やんさんはそう書いています。
この考え方が好きだな、と思いました。
ひとりでやっていた頃は、余裕がありませんでした
ここからは自分の話になります。
以前、総務をひとりでやっていた時期があります。あの頃は、心の余裕がありませんでした。
ひとりしかいないので、問い合わせのひとつひとつに親身になって対応することができません。ある一定のところで対応せざるを得ませんでした。
もっと寄り添えたよな、と思います。仕事の幅も、持てていなかったと思います。
いまはもうひとり担当がいます。おかげで自分は、他のことに力を発揮できています。これは間違いなくあると思っています。
打ち合わせのあと、後日になって「そういえばあれ、なんて言っていたかな」となることがあります。
そういうとき、後輩は覚えています。毎回、助けてもらっています。
自分の力でやっている部分も、あるとは思っています。
ただ、いまやれていることは、周りのみなさんが支えてくれているからでもあります。建てさせてもらっている、という感覚が近い気がします。
続いていること自体が、証拠なんだそうです
もう1箇所、線を引いたところがあります。いい親方の見分け方を書いた第2章です。
技術ばかり見るのではなくて、何年も続いていて、弟子が育っていて、材木屋や協会からの評判があって、地域から信頼されている。そういう工務店が一番いい、という話でした。
続くというのは、それだけ多くの人に喜んでもらえとる証拠なんや。
言われてみれば当たり前なのに、妙に納得しました。人から求められていないと、そもそも続けることができません。
じつは、自分の名前で食べていけるようになりたい、という気持ちもあります。日記に何度も書いていました。
ただ、それはみなさんのおかげを打ち消すものではないと思っています。
自分で食べていけるくらい力をつけて、そのぶん、少しでもみなさんの役に立てたらいいな、という方向です。
本書はツナグ図書館経由でクロスメディア・パブリッシング様よりご恵贈いただきました。ありがとうございます。
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